その1.駅の記号が新たな謎を呼ぶ
2004年3月になってから、一部の駅名に記号が併記されるようになりました。とってつけたようなという表現がぴったり、というか本当に付けただけなのですが。この表記は主に日本語以外を母国語している方むけのようで、車内の英語ガイド(ドアの上に表示されるやつ)の時にも表示されています。路線名のアルファベットが基本名付けらしく、三田線だと「M」なのですが丸ノ内線があるので「I」らしいっす。駅のパンフを広げたら、路線一覧がのってました。
【都営地下鉄 】
浅草線→A
新宿線→S
三田線→I
大江戸線→E
【東京メトロ】
銀座線→G
日比谷線→H
千代田線→C
半蔵門線→Z
丸ノ内線→M・m (mは方南町〜中野新橋駅間)
東西線→T
有楽町線→Y
南北線→N
駅名はユニークでなく、路線ごとにナンバリングされているようです。たとえば目黒駅はI01でありN01であるということらしいです。 料金表とかぜんぜ換わってないんすけど、いずれそう表示されるんでしょうか。てか今のままだと「A15に行いきたいんやけど、どうすればええねん?」と聞かれても、すぐには説明でけまへん。
その2.三田線とは
三田線を知らない人のために、ちょっとだけ説明します。三田線は東京に数ある営団地下鉄に向こうを張って都が開業した地下鉄線の1つです。おばあちゃんの原宿で有名な巣鴨とか、本とスキーの街神保町、意外に遊べる三田、芝、御成門など、山手線をちょうど東寄りに、縦に割るように走ってます。
99年11月28日、開業当時から親しまれてきた6000系の最後の車輌が引退することになり、高島平の車輌基地では記念イベントとして、記念品の販売や車輌展示が行われました。
その3.新たな謎
三田線の謎を見た人から「それよりも何で都営12号線は都営12号線なの(XX線とか付いてないの)?」と聞かれました。
都営三田線は昭和43年の開業当時、志村〜巣鴨間を走る間は都営6号線と呼ばれていました。
三田線が三田線と呼ばれるようになったのは、昭和51年の全線開通の2年後、53年からです。なんで巣鴨線にしなかったんでしょうね。同じ山手線の端と端、当時から巣鴨だってある程度栄えていたはずなのに。これは新たな謎です。
それと、三田線、12号線でもそうだったように、全線開通するまで名前を付けないものなのかとも思いましたが、半蔵門線や南北線は一部しか開業してなかった時から、もう名前がついてます。都営と営団のポリシーの違いなのでしょうか?
都営12号線については、三田線みたく、もう少し開業区域が延びてからになると思われます。練馬線や光が丘線ではないということでしょう。
その4.号と路線対応表
前の質問に戻ります。線の番号と路線の対応表を作りました。こういう順で番号が振られているとは知りませんでした。
最も歴史のある銀座線が3番ということからもわかるように、建設順とは一致しておらず、多分認可の順番かなにかではないかと思います。ここにも新たな疑問が、、ううーん。
1号線 |
都営浅草線 |
2号線 |
日比谷線 |
3号線 |
銀座線 |
4号線 |
丸の内線 |
5号線 |
東西線 |
6号線 |
都営三田線 |
7号線 |
南北線 |
8号線 |
有楽町線 |
9号線 |
千代田線 |
10号線 |
都営新宿線 |
11号線 |
半蔵門線 |
12号線 |
都営大江戸線 |
13号線 |
有楽町線 |
その5.謎は新たな謎を呼ぶ
路線の番号と呼び名の関係を調べるにあたり、いくつかの書籍を読みました。そうすると、なぜ最初に開業した銀座線が1号線でないのか、なぜ都営と営団の2つがあるのか、都営バスとの間でさえない割引があるのか、等など、知られざる事実が明らかになりました。このページのテーマは三田線なので、私はこれ以上は書きません。たぶん。
02/97 Emiko
06/97 書籍を追加
01/98 修正
10/99 三田線の呼称変更年を修正、参考文献を追加
11/28/99 三田線6000系さようなら記念日
11/13/00 参考書籍を追加、都営12号線を大江戸線に修正
3/29/04 駅記号を追加
5/17/04 参考書籍「モスクワ地下鉄の空気」を追加
5/17/04 参考書籍「東京の地下鉄がわかる事典」を追加
10/1/04 参考書籍を別ページに移動 |