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氷川神社の謎
東京に来てからちょっと疑問に思ってたのが、あちこちに氷川神社があるということ。東京ならどこにでもあるのかと思ってましたが、そうではないようです。
さらに:
神社にも系列があることを初めて知りました。氷川神社は出雲系。
ご祭神は素盞男命(すさのおのみこと)または速素盞男命(はやすさのおのみこと)をメインに、もう2人の神様のどちらかがサブとなるそうです。
その1:氷川神社は板橋区にだけ多いの?
まずは本当に板橋区に氷川神社が多いかどうかを確認するために、電話帳で数えてみました。結果は下の表。
足立区と並び、23区内では最大8社を数えます。板橋だけとは言えませんが、やっぱり板橋には氷川神社は集中しているんです。
さらに、板橋の氷川神社の多くは大宮市の武蔵一の宮にある氷川神社が本社としています。板橋に多いというより、埼玉県にいっぱいあると言った方が正しいですね。
埼玉県の分布も調べようかとも思いましたが、図書館には23区の電話帳しかないし、やめました。
表)電話帳で調べた23区の氷川神社分布
板橋区 |
8 |
足立区 |
8 |
中野区 |
5 |
練馬区 |
4 |
港区 |
3 |
目黒区、豊島区、渋谷区 |
2 |
新宿区、杉並区、北区、世田谷区、品川区、葛飾区 |
1 |
千代田区、中央区、江東区、江戸川区、墨田区、文京区、大田区、荒川区、台東区 |
0 |
その2:どうして多いの?
もっともらしい話として、武蔵国の国造と出雲の国造が同族だったので武蔵国一円に広まったからというのがあります。
でも、個人的にはちょっとひっかかります。なぜなら、もしそうなら、江戸時代の仏教保護政策のあおりを受けたにしても、江戸時代に入る前に広がっているはずです。武蔵国は東京をすっぽり包む規模だったので、他の区にもあっておかしくないはずです。 確かに江戸時代は7社あった氷川神社は数をほぼ変えずに残っています。街道沿いに広まったというのはなんとなくわかります。
実はこの神社が注目を集めるようになったのは、明治維新以降。東京遷都を控え、氷川神社は鎮守という、けっこう高い地位を授けられました。どのくらい高いかというと、上賀茂・下賀茂神社と同じくらいの高さです。これでも実感わきませんが、きっとものすごく高いのでしょう。
で、明治維新の時、宗教体制を整えるため神仏分離がおこなわれ、かなりの神社が統廃合されました。氷川神社はその時の時流に乗っていたためにつぶされなかったというのが正解のようです。
その3:お稲荷様の謎が?
ハンバーガーの横にはフライドポテトが添えられているように、 氷川神社の境内には必ずと言っていいほどお稲荷様があります。
これは氷川神社だけの疑問じゃないのですが、江戸時代は35社もあり板橋区内最多だった稲荷社は、今では3社を数えるに過ぎません。
「その2」でも出ましたが、もろに寺社の統廃合の憂き目にあったのがお稲荷様だったようです。
お稲荷様は仏様と神様の習合神として崇められていました。明治維新の際の神道促進の布教政策にはあわず、リストラされたのではないかと思います。お稲荷様は集落単位で奉られているものが多く、政治的に強力な保護者を持たなかったのが原因でしょう。
それでも坂下の稲荷神社など、一旦は蓮根の氷川神社に移されましたが、地元住民の働きかけで戻ってきている例もあります。
ともあれ、これからお参りする時は境内の隅に奉られている稲荷社にも一拝することにしましょう。でも、今度って来年の初詣かなあ。
参考資料:
日本宗教事典, 村上重良, 講談社学術文庫
明治維新と宗教, 羽賀祥二, 筑摩書房
新・日本神社100選, 秋田書店
ご利益別神社仏寺260選, 下山丈三, 金園社
神社, 板橋区教育委員会
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